ホテル精養軒の歴史

歴史と伝統が息づくホテル

1948年創業に創業し、2023年で75周年を迎えた
武蔵小杉の老舗「ホテル精養軒」。
ホテル精養軒の歩んできた軌跡と
小杉とのつながりを紹介いたします。

歴史と伝統が息づくホテル

小杉とホテル精養軒の歴史

1590年、天下統一をした豊臣秀吉が徳川家康を関東に移封、家康は中原街道を通り江戸へ入りました。6年後家康は平塚に中原御殿を建てました。7100坪の敷地で、今は平塚の中原小学校となっています。中原街道は平塚の中原と江戸を結ぶ街道でした。

徳川家康が関東へ連れて行ったのが小泉次太夫で、次太夫は家康に稲毛と川崎の二ケ領を潤す用水を進言し、14年かけて完成しました。次太夫は800年前に富士山の麓で大水と枯れ沢に苦しむ鷹岡と伝法の町に二本樋をかけて用水を作り代々水利代官となった植松家の長男、その技術集団を連れて家康は関東へ乗り込み、荒れ地を豊かな農地へと転換、天下を取るための経済地盤を盤石なものにしました。

二ケ領用水が完成に近づく1608年、2代将軍・秀忠は小杉陣屋の隣に小杉御殿を建て、家康、秀忠、家光、家綱などが利用しました。約1万2千坪の敷地になりますが、東海道が整備されると大名行列はそちらを利用するようになり、小杉御殿の建物は品川と上野へ移築され姿を消しました。

歴史と伝統が息づくホテル

1948年10月、築地の精養軒ホテルから分かれ萩原元春が当時の工業都市駅近くに精養軒ホテル創業、3千坪の敷地に、大きな池と橋、30の離れがあり、京浜の箱根とうたっておりました。

当時の精養軒ホテル所有のお客様用の小舟、この小舟が2艘ありまして、お客様はここで釣りを楽しまれてホテルへ戻っていらしたとのことです。

小杉とホテル精養軒の歴史 小杉とホテル精養軒の歴史

精養軒ホテル玄関前左(左)と、お客様用の小舟(右)

ホテル精養軒本館オープン

1979年、ホテル精養軒本館オープン、その4年後にバンケット館オープン。
1989年に新館建築。バンケット館リニューアル、レストラン銀杏の木オープン。

その後都市開発が進み、2010年JR横須賀線の新駅が開設、
2014年には住みたい街ランキング5位に選ばれ、人口が急増します。
そして2016年1月、新本館がオープンし、現在に至っております。

  • ホテル精養軒外観
  • ホテル精養軒外観
  • ホテル精養軒内装
  • ホテル精養軒内装
  • ホテル精養軒内装
  • ホテル精養軒内装

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